wakisaka lab@Shizuoka Institute of Science and Technology

静岡理工科大学 建築学科 脇坂圭一研究室

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第2期生の活動開始!【読書ゼミ】

第2期生の研究室活動がスタートしました!

週2回、ゼミ活動の様子をあげていこうと思います。よろしくお願いします。

 

 

本日は 坂牛 卓さんの著作である「建築の設計力」を題材に読書ゼミを行いました。

各章ごとに担当者がレビューし、各々の意見を出し合い、本についての理解を深めていきます。

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20201009読書ゼミ

以下は今回の議事録になります。

 

■序章~第1章1-3(担当:鈴木 結梨)

1.自らの建築理念を紡ぐ力2.課題を見つける力3.答えをつくる力 

  1. 理念を紡ぐ力 

設計は、具体的要件(クライアント要望、法的要件、周辺環境)と同時に、設計者の内面に紡がれた建築理念も設計の出発点として位置づけられる。 

建築理念 → 抽象的な概念から始まり、後に形を持った実態を伴う 

ここで言う建築は、人や社会というものと関係を持つことが存在の必要条件となる。 

ハビトゥスとは、知覚、思考、行為を生み出す習慣のこと。 

建築理念を紡ぐ基準の考え方 

1.現在建築に影響を与えている社会的、文化的枠組みがあるとすればそれは何か。 

2.建築操作のハビトゥスは何か。 

 

 

□1 現在の建築的ハビトゥス 

「建築条件」人間の本来備わる性格の項目のソーシャルに着目 

バブルの頃は、経済状況がよく、建築は機能や効率性に加えてファッション性や芸術性を求められた時期であった。しかし、バブルが崩壊し経済は停滞傾向になり、建築は最小限のファッション性と芸術性、少ない予算で効率的に作られることが求められた。つまり、建築と経済の関係が建築に社会性を求めるようになったと言える。 

現在の“社会のための建築“というものは社会に対して思想的にも物理的にも開かれることで、建築家の世界ではなく、人々の世界となる傾向がある。 

独自の世界観建築 → ソーシャル(社会的)建築 

3.11の災害で、建築を人々のものであるということを実体として示す必要性が生まれた。そのために、建築をなるべく開放的に透明感のあふれるものとして人々が出入りできるものとしてつくるハビトゥスが生まれた。 

 

1-1建築の開閉性 

物理的開放→視覚的透明で機械的にドアや壁が開かれたもの 

意味的開放→建物に入ることが可能な部分が多くある、公共性が高いという意味合い 

<公共建築の開放化 庁舎建築の研究> 

過去においては、市民の立ち入れる場所では行われる行為が限られていた。現在では、その場所での行為は限定的ではなく、自由に入ってたたずめる場所が多くある。 

市民に開かれた場所を多く作り出し、市民のための役所を体現している。 

<日本近代住宅の開放化> 

戦後の住宅は、閉鎖から開放へ向かっていた。(篠原一男の閉じた空間→坂本一成伊東豊雄の外部との関係性を求めた開いた空間) 

また、住み開き住宅という趣味を収入にするため、コミュニティを作るための住宅も相互扶助の感覚や趣味を収入に変える発想は、少なからず経済停滞や災害の影響も受けている。 

 20世紀から21世紀にかけて閉鎖系から開放系に向かっている。 

<二つの空間の共存> 

近代では、芸術における対象物を明確に対象化し、そのための空間を作り上げてきた。 

(例 演劇の役者を対象化し、それを見つめるためのステージを作り上げる) 

それと同様に、自らを対象化できる個室(ひとり空間)を作り、プライバシーという概念を強化する。 

これに対し、21世紀は空間をつなげ始め、個の重視よりつながりが求められている。しかし、一方でひとり空間は厳然と存在し、意味のあるものとしてなくてはならない。 

開閉性は、おおむね閉じたところから開く方向へ進んできたが、すべてが開放系へ向かうということではなく、閉じる空間も共存することで全体のバランスが取れている。 

 

1-2建築の自律性と他律性 

建築を決定する要因は現代では、機能的要求、環境的要求、構造的要求、社会的要求が挙げられる。 

自律的建築とは、そうした要求による影響を最小限として建築が建築自体に内在する原理によって成立している建築のことをいう。モダニズム建築の始まりは、この自律的建築を目指していたと言える。 

1970年代にロバート・ヴェンチューリが疑義を提示し、建築における意味を重視した。建築を建築そのものとしてではなく建築を人間が受容することを通して生み出される副次的な産物(意味)を通じて考えようとした。副次的産物を建築の成立の大きな要因として捉えるということは、建築を他律的に成立するものとして考えることになる。 

一方、坂本一成は社会性(他律性)を重視した建築を「行き過ぎている」と警鐘を鳴らしている。 

自律的建築から他律的建築へ変化していっているが、他律がすべてを覆いつくすということでもなく、自律・他律の共存していることがわかる。 

 

1-3建築の広告性 

建築を受容する側から見たハビトゥスと言えるものがあるかを考える。その理由は、建築を制作するときに建築がどう見えるか、どう受け取られるかを同時に考える必要があるからである。 

→建築の現象を考えるということ。 

広告は、世の中に氾濫していながら我々が普段あまり意識されていない存在(不可視性)である。しかし、建築においても同じようなことが言える。建築も常に見えているようで見えていないのではないかと考える 

建築は、どのような契機で見えてくるのかを分析することが建築の特性を検討するうえで重要である。 

広告は、人を覚醒させるために過剰な刺激を与え続ける傾向がある。建築でも同様な方法で過剰な刺激を生み出す建築があるが、そうではなく、ごく自然に明快に建築が意識の上に現れるように人々を覚醒させられる方法を考えていかなければならない。 

 

 

【レビュー】

山本→副次的産物によって建築が成立 

脇坂先生→自律・他律性は、組織・アトリエ系設計事務所に関わること 

 

矢作→内容を理解するのは難しいが、建築は経済に左右されやすい 

脇坂→何度も本を読めば慣れて理解できるようになる 

 

葉大→開閉性について、いきなり住み開き住宅の話が出て分かりにくい 

脇坂→本に出ている作品名や年代を入れるべき 

 

脇坂→フィロソフィをブラッシュアップしていく 

 

 

第1章の2(P36~50) (担当:鈴木 葉大)

 建築とは「物」「間」「流れ」の3つの要素で構成されている。一般的に物と間の2つが構成要素になっているが、近年になり建築内の動く要素が建築の様相を大きく変えるコトにきづき、この「流れ」を加えた。 

 「物」を歴史的に観ると「数比」と「質材料」の2種類で述べられている。「数比」について説明しているのはウィトル・ウィウスの「建築論」である。3つの立脚点を用・強・美においた。そして、その美を生み出す原理として「シンメトリア:部分と全体の関係」「ディスポジシオ:物の配置」「ユーリトリア:視覚的なリズム」が示されている。これらは物体の配置、構成の原理である。一方、バウハウスの「材料から建築へ」では造形は形態・色彩・材料・テクスチャに分けて考えられている。 

 次に、「間」について考えよう。間という概念は近代になって入ってきた要素だ。G・ギーディオンの「空間・時間・建築」によって普及した。空間の質を支配しているのは、空間それ自体だけではなく、その場所(=場所性、地域性)もあり、その空間の中にある物である。 

 この「物」と「間」は常に並列して存在し、どちらを優位と捉える権利も必然もなくそれはケースバイケースで変わる。建築体験の本質を建築内部の空隙に入ることを前提にあるし、それがどのようなランドスケープのなかであるかは、重要である。一方、建築要素の物質性に感動することもある。 

 要するに、設計とは、「物」を描きながら「間」を計画していると言っていいだろう。 

 この「物」と「間」の要素以外に、物と物の間、あるいは物に穿たれた穴を通り抜ける光、数、音、匂い、人、動物、家具などの動く要素によってその様相を大きく変える。建築の開閉性、自律・他律性などを前提に建築を考えると、建築は周囲と概念的にも物理的にも、いかにつながるかつながらないかがその性格を決定する臨界点となる。(=建築の物理的開放と意味的開放が地域と建築を繋ぐ重要な要素となる。また、他律的(=建築を人間が受容することを通して生み出される副次的な産物)に捉えるのか、自立的(大きな空隙をはらんだ芸術作品に捉えるのかによっても重要な要素となる 

 この流れという概念は生物学の動的平衡(=生物の生命は包む殻によって構成されているのではなく、細胞膜の中の流動性が細胞間で平行関係を保つことで維持されている)の考えがより強固にした。物を殻としたときに、流れは流動性となる。 

 流れとは闇雲におこるものではなく人の通る流れならそれは廊下やコンコースなどだ。光・風・熱などはトップライトや窓、窓の開閉があたる。つまり、物を制御板あるいは開口として設置することでその流れのルートがつくられる。 

 昔、「壁派の建築家」「柱梁の建築家」という部位へのこだわりでその建築家を分類していた。しかし、著者は、さまざまな存在が染み出す部位として「窓」に建築を考えるきっかけとして可能性を感じた。 

 自動車が建築的な機能を持つ場合があるが、それをここでは建築とは考えない。そのため、建築は当然、新鮮な感覚がなくなっていく。しかし、建築以外の流れの要素は変化する。こうした流れを建築の中に視覚的にあるいは実態的に取り込むことで新鮮さが維持できる。 

 しかし、流れをあえてつくるだけでなく、あえて、停滞させ、「淀み」を作る方法もある。その淀みが流れのある部分の中にあると他とは異なる様相を見せる。つまり、開放的で他律的な空間に閉鎖的で自立的な空間入れ込むことで、不連続で異なる場所を作り出せる 

 開放と閉鎖・他律と自律という両端の性格を連続的に並べた不連続な質の空間を併置が意図するところは、ある種の広告性にも関連する。 

 

【レビュー】

廣岡 

物から間、間から流れとそれぞれの概念が発生した順に考察していくと、よりより人の動きに近づいていくと感じた。自律的な建築から他律的な建築へと移行している。」 

のような意見がでた。概念との発生と同じように、時代も他律性に移行していった。地域に開いていく「住み開き住宅」や環境的な要素はそのような仮定で発生したものに感じた。 

 

山本 

開放的で他律的な空間に閉鎖的で自立的な空間に入れ込むことで、不連続で異なる場所を作り出せる。というところで淀みをあえて作り出すことが重要だと感じた。 

この意見から脇坂先生の質問により大きな話になり、個人の建築理念の説明に写っていく。 

山本 「自律的な建築の中に、他律的な建築を作ることで、それぞれ閉じた建築を繋ぐコトが私の建築理念です」 

本とは大きく異なる意見だが、都市などprivate Spaceとpublic Spaceが壁一枚のみ隔たりの場合は、個人という淀みの中の空間が主となる傾向にある。その中では、common Spaceのようにその淀みを繋いでいく建築は非常に重要だと感じた。 

 

脇坂

「この章で取り上げられなかった「時間」という概念、著者の坂牛卓さんの建築傾向からも取り上げてもいいフレーズだったと感じた。私の建築理念である「不均質な空間」はまさしく時間というものが非常に重要なっていく。光や風は時間や季節などによっても変わっていく。」 

 

「時間」と「淀み」は密接に関わり合っているようだが、この章では時間についてはふれられていなかった。また、他律性を考えたとき大きな時間の枠組みとして時代性も重要になっていく。その点、隈研吾さんの作品は、一見主張が強い自律的な建築に感じるが、過去の日本の工法をリノベーティングした時代性、地域性をはらんだ他律的な建築という見方もできる。建築の見方も大きく変わる参考本であった。