こんばんは。
11月27日(金)は台湾ゼミを行いました。
今回も前回の台湾ゼミに続き、亭仔脚に関する既往研究のレビューを行いました。
今日とりあげた論文は、2014年5月に日本建築学会計画系論文集で発表された
『日本統治期における軒下歩道の利用と管理』(著者:西川博美,中川理)
です。
以下はレジュメになります。
担当者(鈴木葉大)
- 目的
「亭仔脚」の普及に伴いその空間が抱えた、その管理の課題と行政の対応について、亭仔脚の設置が進んでいった日本統治期において明らかにしようとするもの
- 目的の理由
歴史的な地域空間を保全や再生する事業の中では、私有と公共の関係性のあり方は常に重要なテーマとなっていきているが、その両面を併せ持つ建設がこのアーケード歩道のような空間の管理のありようを歴史的に明らかにすることは重要であると感じたからだ。
また、亭仔脚ができたころと同時期にシンガポールや香港、広州などでも建設がすすんでいた。行政(警察)による管理が常に課題となっていた。
- 調査方法
当時の新聞報道を主な資料として分析を行っている。新聞報道については日本統治期の台湾で発行部数が最大であった日本語新聞「台湾日日新報」(1898/5/1創刊)を用いる
- 結論
- 1900年:「台湾家屋建築規制」で亭仔脚の設置義務が生まれた
→管理の課題が大きくでてきた。亭仔脚部分の所有者の荷物や空き箱を置き、その空間に空き箱を置き、その空間を占有したり、自転車を乗り回すなど、亭仔脚の歩道としての機能を失わせる行為が発生
- 1918年:「街路取締規制」:亭仔脚は「私設道路」ではなく、その空間を占有する権利を持たず、他人の通行を拒否することもできない
→公道として政府が取り決めしていくため、様々な法や規制が発生
- 1936年:「台湾都市計画令」:亭仔脚部分を店屋の私有地でありながらも、その敷地面積及び建築面積を店屋の建蔽率を計算する際に含めないという規制
→空き箱などの通行規制の問題は解消されつつあった。
しかし、自転車の規制は機能的に必要という議論
- 根拠を美観として強調:まち並みを重視して自転車などを亭仔脚の歩行空間に駐輪するのは良くないという規制
→看板なども町並みを乱しているとして規制を行う
- 考察
この亭仔脚は色々な経緯を経て成り立っている。今の日本でこれを行うとするとかなりの反発が発生することが予想される。WSなどを通じて一緒に町並みを住民と作っていくことで、これを解決していけると思う。